「効率よく働けば評価される」
「これからは成果主義の時代」
そう信じて社会に出た人は多いはずです。
でも現実を見てみるとどうでしょうか。
働き方改革やテレワークが広がった今でも、結局のところ長時間働く人の方が評価されやすいという空気はまだまだ強いのです。
「いや、それって理不尽じゃない?」
もちろん理不尽です。
でもこれは単なる古い価値観ではなく、人間心理や組織の構造からくる必然でもあります。
今回は、なぜ長時間労働が評価されやすいのか、そして私たちがその中でどう立ち回るべきかを徹底解説します。
成果は曖昧、時間は明確
まず大前提として、会社員の成果は曖昧です。
営業職なら数字で成果を測れますが、ホワイトカラーの多くの仕事はどうでしょうか?
- 調整
- 資料作成
- アイデア出し
- 会議での発言
これらは「どれだけ価値があったか」を上司が正確に判断するのはほぼ不可能です。
一方で「誰よりも遅くまで残っている」「休日も仕事している」というのは、一目でわかる“努力の証拠”。
評価基準が曖昧なほど、人は「見える時間」に引っ張られてしまうのです。
競争社会にいることを忘れるな
私たちは常に競争社会にさらされているという事実を忘れてはいけません。
同じ部署に10人いれば、昇進できるのはそのうちの数人だけ。
つまり評価は絶対基準ではなく、相対評価で決まります。
もし自分が定時で帰り、隣の同僚が毎日3時間残業していたら、上司から見える“努力の差”は歴然です。
効率よく働いたことは、アピールしない限り見えません。
でも「遅くまで会社にいる」という姿は、アピール不要で上司の目に飛び込んできます。
夜遅くにチャットのランプが付いてたらまだ頑張ってるのかと思ってしまうものなのです。
だからこそ、競争社会においては「長時間労働=努力のシグナル」として強力な武器になってしまうのです。
また、競争社会と言うのは、何も同僚との競争だけではなく他社との競争、また世界との競争でもあり、より高みを目指していきたいと思っている人は、避けては通れないのです。
今位のポジションや環境に入れればいいなと思う人も、世界は常に進んでおり進化しています。
現状維持するためでさえ、競争に勝つ事は不可欠なのです。
長時間労働を評価する上司は無能なのか?
「長く働いているだけの社員を評価する上司は無能だ!」と思う人もいるかもしれません。
これは半分正解で、半分不正解です。
- 正解の部分:時間と成果を分けて考えられないのは管理職としてのスキル不足。優秀な上司なら「質」「効率」「インパクト」を評価するべきです。
- 不正解の部分:上司が全員の仕事を細かく把握するのは不可能。部下の努力を完全に可視化するのは難しく、結局「長く頑張っている姿」に頼らざるを得ないのです。
つまり「無能」ではなく「限界に縛られた選択」をしているだけ。
だからこそ私たちは、この仕組みを理解して動く必要があります。
長く働ける=体力がある、非常時の信頼
もう一つ見逃せないのが、長く働ける=体力があるというシンプルな事実。
平常時は効率的に働ける人が重宝されます。
でも組織には必ず“ここ一番”という修羅場が訪れます。
- 決算期の追い込み
- 大型プロジェクトの納期
- 重大トラブルの徹夜対応
そんなときに最後まで残って踏ん張れる人は、組織からすると「信頼できる人材」です。
つまり長時間労働は、非常時に発揮される“持久力の証明”でもあるのです。
量をこなすから質が上がる
さらに現実的な話をすると、やっぱり量をやらないと質は上がらないんです。
- ライターが100本記事を書けば、最初の10本よりも格段に上達している
- プログラマーが毎日コードを書けば、自然と効率的な書き方が身につく
- 営業も訪問数や商談数を重ねることで、自然と話術や交渉力が磨かれる
つまり、長時間働く=“量”を担保することになり、結果的に質の向上にもつながります。
ここで「自分は長時間働かなくても効率よくできる」と思う人もいるかもしれません。
しかし同じ会社にいる時点で、周囲も自分と同じくらいの能力を持った人たちです。
そこで秀でられるかどうかは、誰がより多くの場数を踏んだかに尽きます。
もちろん天才や突出した秀才なら少ない労力で成果を出せますが、正直なところ多くの人はその「特別枠」ではありません。
だからこそ、凡人が凡人なりに戦うには、量をこなすことが最大の武器になるのです。
皮肉な未来:AI時代でも「時間」が武器になる
AIや自動化が普及すれば、「効率よく成果を出す人が評価される時代になる」と思うかもしれません。
しかし実際は逆です。
AIを使えば誰でも一定のレベルの成果を出せるようになる。つまり成果の差がますます曖昧になり、結局「誰がどれだけコミットしているか=時間を差し出しているか」が評価の基準になりやすいのです。
効率化が進めば進むほど、“時間を使える人”の価値はむしろ高まる。これが皮肉な未来予測です。
どう立ち回るべきか
ここまでの話をまとめると、長時間労働が評価されるのは次の理由からです。
- 成果が曖昧な中での“わかりやすい指標”
- 競争社会での相対評価
- 非常時に耐えられる体力の証明
- “量”を通じた“質”の向上
- AI時代における成果の曖昧化
これらを理解したうえで、取るべき戦略は大きく3つあります。
- 時間をある程度武器として使う
キャリア初期や成長段階では、経験を積む意味でも「量」をこなすことに価値がある。ある時期は意図的に長時間労働を選ぶのも悪くない。 - 成果を“見える化”してアピールする
短時間で効率的に成果を出したなら、「どうやってそれを実現したか」を上司にしっかり伝えることが必要。見せ方を工夫しない限り、誰も気づいてくれません。 - 環境を選ぶ
どうしても「長時間労働ありき」の文化が合わないなら、そうした価値観を重視しない場所に移るのも一つの戦略。一定の公務員や決まった時間のみ働くポジションは選択肢としてあるかなと思います。
まとめ
結局、長時間労働が評価されるのは「上司が無能だから」だけではなく、人間心理・組織構造・競争社会の必然から来るものです。
そしてこれはAI時代になってもすぐに変わるものではありません。
私たちがやるべきことは、ただ嘆くことではなく、この仕組みを理解したうえで「自分はどう立ち回るか」を戦略的に選ぶこと。
そうすれば、理不尽なルールの中でも、自分のキャリアを優位に進めることができるはずです。
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